胆石症、ほぼ完治して思うこと #2.

退院してから1ヶ月ほどですが、体調はすこぶる良好になっています.私が摘出した胆嚢は、手術後の先生の解説によると、バイ菌が入って化膿して、膿でパンパンに腫れていたそうで、通常の胆石症による腹腔鏡手術による胆嚢摘出手術とは違った術式になったようなのですが、先生のテクニックのせいでしょうか、とどこおりなく手術を終わることが出来ました.あれだけ化膿してバイ菌をまき散らしていた胆嚢を摘出したのだから、手術前より内臓の調子は良くなるかもしれないと先生に言われていたのですが、まさにその通り.現在のおなかの調子は手術前より良くなるどころか、はるか数年前に匹敵するような調子の良さです.20年くらい前までさかのぼれるかというような状態です.


とにかく、何を食べても何を飲んでも下痢をするという兆候すらありません.手術前だったら、ちょっとこれだけ食べたらヤバイかなぁ、と思った翌日には、激しく下痢をしていたのですが、今では、何をどれだけ食べても、何をどれだけ飲んでも、胃袋が先にパンパンになって、ねをあげる状態で、翌朝になればケロッとしています.こんな状態って、何年前までさかのぼれるか、ちょっと記憶をたどっても思い浮かばないくらい快調です.


私の胆石の症状として、みぞおちを握りつぶされるような激しい痛みがあったのですが、記憶をさかのぼれるだけ思い出すと、2009年の冬に自分の車で北海道旅行をしていたとき、札幌から登別まで向かう高速道路の途中で、耐え難いみぞおちの痛みに襲われて、サービスエリアに入って2時間くらい休憩したことがあります.それが一番古い記憶かな.でもね、その痛みが出る前兆現象として、ノドの奥の違和感というのがあるのです.ツバを飲み込むにも違和感を感じるような.それが始まったのは、遙か昔、今から20年以上前になりますか、私が名古屋から姫路に引っ越しをしたあたりから起こっていた症状です.となると、私の胆嚢は、20年以上前から異常だったって事ですかねぇ.まあ、長いこと私の体に、いらん負担をかけ続けていたことは間違いないようです.胆嚢を摘出すると、油ものを食べると下痢をしがちになる方もいらっしゃるようですが、もうホントね、私の場合は、ケンタッキーとビールだけで腹一杯にしても、マクドナルドのクオーターパウンダーのLLセットを食べても、胸焼けすらしなくなってしまったのですから、何度も言いますが、何十年前くらいの内臓の状態に戻ってしまいました.ただ、胆汁がだだ漏れ状態で濃縮されていないですから、ウンチの色は薄めですけれど.


さて、手術後の一夜を過ごして、一般の個室に移った直後ですわ、看護師長さん(看護婦さんの中で一番えらい人)からレントゲンを撮るので車いすに乗ってレントゲンまで行きましょうと言われました.その時に(病室は3階で、レントゲンは1階だったんですけど)、看護師長さんとお話をする機会を得ました.看護婦さんたちは常に忙しそうに動いていますので、私のような健常者に限りなく近い病人は、なかなかいらん話を持ちかける機会がないのですが、看護師長さんに車いすを押してもらっている間に、ちょっとだけ話が出来ました.看護婦という仕事について.


私はとりあえず、入院して次の日に手術をして、その晩が明けて、その間に感じた、テレビなんかでやっている看護婦のイメージと、実際に入院して中から見た看護婦のイメージのギャップについて、誰かに聞いてもらいたくって、こんなことを言ってしまいました.とにかく誰かに話したくてしょうがなかったんです.「看護婦さんの仕事って、テレビなんかで大変だって言ってますけど、本当に大変なんですねぇ」.すると看護師長さんが私に逆質問.「どこが大変だって思いますか?」って.


この場で、「勤務時間が不規則で、拘束時間が長い割に、給料が安いから」なんて言ったら、この看護師長さん怒りそうな人だったので、自分が漠然と感じているイメージを思い浮かべながら、自分でも自分が何を結論づけるかわからないまま、こんなことを話し出しました.


「例えば、私みたいに、ぱっと入院して、ぱっと手術して、さっさと退院する人なんかはいいんですけれどね、長いこと入院している患者さんは、長いこと苦しい思いをしているわけじゃないですか.そういう肉体的に苦しい思いをしている人は、どうしても心が弱ってきますよね.でも看護婦さんっていうのは、そういう弱った心に、自分から進んで寄り添う必要があるでしょう.そういうのって、精神的にとてもしんどいことだと思うんですけれど」って言ったんです.このセリフを話し終わってから、ああ、私が入院してから感じていた看護婦さんに対する違和感というか特別な感覚っていうのはこのことなんだって、自分で自分の言葉を聞きながら納得しました.看護婦さんの仕事っていうのは、なにも血管に注射を打つとか、血圧体温を測るとか、痛み止めの座薬を入れるとか、そういうことが第一義ではないんです.肉体的に傷つき弱り切っている患者さんの心に、積極的に寄り添っていく、それが一番の仕事なんだろうなって、私は感じていたんです.だから、いままで外来で出会った看護婦さんと、入院病棟で働いている看護婦さんの間に、みょうな違和感をかんじていたんですよ.そういうことだったんです.自分で納得しました.


でもその後看護師長さんは、「そうですね.でも、それが看護の本質ですから.うちのみんなも理解して働いてくれていると思いますよ」って、にこっと笑いながら一言.まったく感情を表さない看護師長さんがにこっと笑ったことで、私の言った言葉が、本当に看護婦さんの仕事の本質を言い当てていたんだと実感しました.でも、その後に看護師長さんがポロッと言った言葉には、強烈な重みがありました.


「でもね、私たちに出来ることは限られているんですよね.だから、割り切ることも大切です」って.私の目を見ないで、真剣な顔で一言.つまり、どんなに頑張っても、支えきれない心もあれば、救えない命もある.でも、患者さんとマンツーマンで仕事をしているわけではないので、ほかの患者さんと接するときには、「私はあなただけを見ている、あなただけの看護婦ですよ」っていう顔をすることが仕事なんですよね.一生懸命看護をしていた患者さんが亡くなったからといって、次にかかってくるナースコールの患者さんに、悲しい顔をさらすことは許されない、そういう職場なんですよ、きっと.亡くなった患者さんのことをいつまでも引きずることのない割り切りも、看護婦の仕事としては重要な能力の一つ.その看護師長さんの最後の言葉を聞いて、私はちょっと打ちのめされるような衝撃を受けました.世の中にこんな職業があっていいのかと、強く思いました.


彼女たちが私の病室に来るときには、常に笑顔で接してくれています.私にとっては、本日唯一の担当の看護婦さんなんです.でも彼女にとっては、私はたくさんいる担当患者のうちの一人にしか過ぎないんです.ついさっき、担当している他の患者さんが息を引き取っているかもしれないんです.そう思うと、彼女たちが普通に業務をこなしていること自体、一般人には信じがたい精神的状況で仕事をしているかもしれないのです.なんかそんな事を考えると、私のように限りなく健常者に近い病人が、こんなところで病人づらして入院していていいのかって、そんな気分になりました.


とにかく、私が入院した病院の、私がいた病棟の看護婦さんたちは、私ごときは完璧に頭が上がらないほどの仕事ぶりでした.私はこういう言葉はあんまり使うのが好きではないのですが、その仕事ぶりに感動し、感銘を受け、感心したとしか言いようがありません.だから、看護婦さんにも、ベッド待ちをしている患者さんにも申し訳ない思いで、そそくさと退院してきました(でも1週間ほどいたんですけれど).


今回の入院で思い知りました.外科の入院病棟で働いている看護婦さんに出会ったら、最敬礼をしたいと思います.